(その73)

メキシコ

 中央研究所のある千葉県御宿町とメキシコとは、スペイン船サン・フランシスコ号が1609年9月30日この地へ漂着した際、岩和田の住民による人道的かつ決死の救助活動によって317名が命を救われた史実が発端で、深い友好関係にある。御宿町と同国との交流も活発で、最近では6月14日に駐日メキシコ大使ご夫妻と駐メキシコ日本大使ご夫妻が講演会の合間に田尻海岸にある記念碑を訪れ、隣接する中央研の施設にも立ち寄られた。また、7月13日には日本メキシコ学生交流プログラムで御宿町に研修に来たメキシコ人の学生10名が来訪し、施設見学と海の環境やお魚、さらに釣りやお刺身のことなどで盛り上った。
 海生研に就職した2年後の昭和56年に女房とともに兄家族が駐在するメキシコに2週間ほど旅行したことがある。テオティワカンの太陽のピラミッド、月のピラミッドなどメキシコシティ周辺の観光のほか、兄家族とともに車に乗ってメキシコ湾に突き出たユカタン半島のジャングルの中にある様々なマヤ文明のピラミッドや遺跡を見て回った。これらの遺跡は皆、先住民族の文明の高さと繁栄を示すものであるが、マヤ文明は西暦900年代に謎を残しつつ滅亡し、アステカ帝国はアメリカ大陸の発見後、スペインの侵略などにより、1500年台に途絶えてしまった。メキシコ人は全体に小柄であり、ややアジア系の顔立ちであることもあって、安心感のある親しみやすい印象であった。
 当時、兄の子供たち(小学生)は、アカデミア・ユリコ・クロヌマでバイオリンを習っていた。アカデミアにも連れられて、メキシコで活動中のバイオリニスト黒沼ユリ子さんともお会いした。その黒沼さんは、御宿町とメキシコの交流がきっかけで2年ほど前に御宿町に移住された。中央研にも訪ねてこられたが、その時は不在でお会いできなかった。しばらくすれ違いが続いていたが、6月のメキシコ大使らの講演会の時、初めて御宿町でご挨拶することができた。30年余のブランクを超えて、急にメキシコブームがやってきた

業務執行理事・中央研究所所長藤井誠二

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