シロギス 2016.8.22 (No74)
     
     砂浜で夏,投げ釣りでねらう魚と言えばシロギスがあります。シロギスは,大きさの割に引きが強く釣って楽しく,また,天ぷらの種として欠かせない食材でもあり,日本では身近に感じる魚の内に入るのではないでしょうか。以前,真夏に砂浜の浅瀬をゆっくりと泳ぐシロギスの姿を見かけたことがありますが,泳ぐ姿はとても涼しげで,まるで夏の暑い最中,和服姿でしゃなりしゃなりと歩く女性のイメージと重なるものがありました。そんなおしとやかなシロギスではありますが,夏の夜の生態は実にたくましいものがあります。シロギスの産卵期は夏です。水温がだいたい25℃を上回ると,ほぼ毎日,日が暮れてから産卵を行います。1尾の雌の産卵数は1~2万個,直径が0.7mm程度の分離浮遊卵で,産卵後は卵塊にならずに海面上に散らばります。さらに,夏の環境(昼間の日長と水温)を人工的に維持すると,ほぼ毎日,1年以上にわたって産卵を続けたとの記録もあります。
 天然のシロギスの産卵は暗くなってからですが,かつてある研究者が人工照明で昼夜を逆転させて飼育したところ,シロギスは昼間のほぼ決まった時間帯に産卵するようになり,さらに,昼間(点灯)の時間を早く終わらせても産卵の時間帯は変わらないことを見出しました。つまり,シロギスは暗くなってから産卵をするのではなく,明るくなることで,所謂,産卵の遅延タイマーのスイッチが入るのです。
 釣って楽しい,食べておいしい,研究対象として興味深いシロギスですが,ここ柏崎の浜ではめっきり釣れなくなっているようです。新潟県水産海洋研究所の報告によれば,秋田や山形でもシロギスは不漁の傾向にあり,シロギス資源量は広域的に減少しているそうです。昔から研究材料としてシロギスに接してきた海生研の人間としては,シロギス減少と聞くと寂しくはありますが,一層の興味をかきたてる問題でもあり,シロギスの資源回復の一翼を担えないものかとも考えております。
実証試験場長堀田公明


メキシコ 2016.8.1 (No73)
     
     中央研究所のある千葉県御宿町とメキシコとは、スペイン船サン・フランシスコ号が1609年9月30日この地へ漂着した際、岩和田の住民による人道的かつ決死の救助活動によって317名が命を救われた史実が発端で、深い友好関係にある。御宿町と同国との交流も活発で、最近では6月14日に駐日メキシコ大使ご夫妻と駐メキシコ日本大使ご夫妻が講演会の合間に田尻海岸にある記念碑を訪れ、隣接する中央研の施設にも立ち寄られた。また、7月13日には日本メキシコ学生交流プログラムで御宿町に研修に来たメキシコ人の学生10名が来訪し、施設見学と海の環境やお魚、さらに釣りやお刺身のことなどで盛り上った。
 海生研に就職した2年後の昭和56年に女房とともに兄家族が駐在するメキシコに2週間ほど旅行したことがある。テオティワカンの太陽のピラミッド、月のピラミッドなどメキシコシティ周辺の観光のほか、兄家族とともに車に乗ってメキシコ湾に突き出たユカタン半島のジャングルの中にある様々なマヤ文明のピラミッドや遺跡を見て回った。これらの遺跡は皆、先住民族の文明の高さと繁栄を示すものであるが、マヤ文明は西暦900年代に謎を残しつつ滅亡し、アステカ帝国はアメリカ大陸の発見後、スペインの侵略などにより、1500年台に途絶えてしまった。メキシコ人は全体に小柄であり、ややアジア系の顔立ちであることもあって、安心感のある親しみやすい印象であった。
 当時、兄の子供たち(小学生)は、アカデミア・ユリコ・クロヌマでバイオリンを習っていた。アカデミアにも連れられて、メキシコで活動中のバイオリニスト黒沼ユリ子さんともお会いした。その黒沼さんは、御宿町とメキシコの交流がきっかけで2年ほど前に御宿町に移住された。中央研にも訪ねてこられたが、その時は不在でお会いできなかった。しばらくすれ違いが続いていたが、6月のメキシコ大使らの講演会の時、初めて御宿町でご挨拶することができた。30年余のブランクを超えて、急にメキシコブームがやってきた。
業務執行理事・中央研究所所長藤井誠二


学会での研究発表 2016.6.20 (No72)
     
     最近の学会発表を見ていると、パワーポイントを駆使したり動画などを用いたりして分かりやすく説明され、また事前にリハーサルを入念に行っているのか発表時間を大幅に超過するようなことはなく、昔(30年くらい前)に比べると大きく改善されたと感じています。私が学生の頃や就職したての頃の学会発表は、スライド(自分達で作成)は分かりにくく、また、発表時間をきちんと守る発表者はあまりいませんでした。しかし、質疑応答については、時間も多くとっていましたし、内容も充実していたように思います。水産系の学会ではありませんが、その分野の大御所と言われる先生方が会場の前のほうに座っておられ、本質を突いた厳しい質問をされ、発表者、共同研究者とも回答に窮する場面もあり、それを聞いている私たちも非常に勉強になりました。また、例えば、「解析コードにこんな数値を入れてみたらこんな結果がでました、というだけの発表ではないか?この研究のオリジナリティーはどこにあるのか、既往研究を勉強したのか?」というような厳しい意見などもありました。このようなケースで発表者が学生の場合、指導教官が手を挙げて、「共同研究者の○○ですが、・・・・・」と助け船を出すことが多くありますが、指導教官も黙ったままということもたまにはありました。また、発表者はそっちのけで、発表者の指導教官同士が議論を始めることもありました。最近の研究発表はスマートですが、こぢんまりとまとまっており質疑応答にも迫力がなくなってきているように思います。理由はいろいろあると思いますが、くせのある研究者が少なくなり、年配の先生方も含めて皆丸くなってきているのではないかと思うことがあります。
業務執行理事木下泉


ニューヨークとワシントンD.C. 2016.4.4 (No71)
     
     昨年の夏に休みを頂いてニューヨークとワシントンD.C.へ出かけた。
 最近脂身の少ない赤身のアメリカンビーフに目覚めた私としては半分、肉を食べに行ったようなもので、ステーキハウスへ毎晩通い、ワシントンD.C.ではステーキに加えカニなどの海産物を味わった。
 レストランでは飲食代に約20%のチップを加え支払う習わしで、例えば500ドルの飲食ではチップが100ドルと結構な金額になる。地元の人によると老舗ステーキハウスのウエイターの年収は2000万円以上になり、現金で得たチップ収入は税務署に捕捉されないよう銀行には預けずに現金のまま消費へ回るので、この循環がある部分景気を支えているそうだ。ちなみに、カード払いの場合はチップを店がプールし、貢献度によって分配されるとのこと。また、ニューヨークのマンハッタンは南のウォール街で働く人の年収が数億円というのは珍しくなく、最近低所得者層の人々がマンハッタンから郊外へ移り住んだ結果、マンハッタンの平均年収は2000万円を超えたとのことで、まさに経済の中心といったところ。
 ワシントンD.C.は政治の中心で、国会議事堂やホワイトハウスを見て回った。
 ワシントンD.C.はヴァージニア州とメリーランド州がその一部を提供した土地に約10年かけて首都として建設された都市。なぜ首都となったかは、独立戦争でニューヨークなどの北部各州が抱えた負債を政府が一括して肩代わりをする法案を通過させようとした際、それほどの負債がなかったヴァージニア州を筆頭とする南部の州が北部の州の負債の肩代わりを強制的にさせられることについて異を唱えたため、当時のハミルトン財務長官がその見返りにヴァージニア州に首都を置くことでトーマスジェファーソンと取引を行ない法案を通過させたという経緯があり、この時すでにニューヨークは経済の中心、ワシントンD.C.は政治の中心という構想があったそうで、その2つの都市の違いがよくわかった旅でもあった。
事務局局長代理山内達雄


2016.2.20 (No70)
     
     前回、私がこの沿岸潮流の執筆を担当したのは8月の暑い盛りで、柏崎市にある自宅の窓の外には鈴なりにぶら下がるゴーヤが揺れていて、ゴーヤについて書こうと思い付いたのですが、2月のこの時期、市内はどこも雪で真っ白です。頭の中も真っ白のまま。とりあえず、雪、で始めたいと思います。
 雪が降るとこちらの暮らしは朝から一変します。柏崎市では雪が12cm以上降ると除雪車が出動し、人や車の通路を確保します。遠くの除雪車の音が次第に近づいて来て、いよいよ家の前を除雪する様子を未明の寝床の中でうとうとと聞いていると、除雪車の作業員の方々がとても頼もしく思われたりもします。ところが夜が明けて、家の前の道端に現れた雪の山を見ると、感謝の念は泡雪となって融け去り、文句たらたらで玄関先や駐車場前の雪山の撤去を始めます。ドカ雪が降った時など、一時間近くかけて雪と格闘しますので汗びっしょりになり、雪掻きが終わる頃にはもう一日の仕事が終わった気分です。
 したがって、春から秋にはほぼ毎朝、ペットの犬は飼い主の私に散歩に連れ出してもらっていたのを、今の時期は時々、きょうは散歩もう無理、と散歩省略の憂き目に遇います。そんな時、犬は散歩中に思いっきりしていた大小の処理を屋内に置かれたペット用トイレの上をくるくると回り、すまなそうな顔をしてすますのです。そこでおもしろいことに気がつきました。我が家ではペット用トイレを(ヒト用の)トイレの脇に置いているのですが、私がトイレから出た時に限ってペット用トイレが汚れているのです。散歩省略の朝ですと十中八九そうなります。つまり、犬はトイレに行く飼い主を後追し並んで用を足しているのです。これって、昔、学生時分よく酔っ払ってふらふらになりながら仲間と連れションしたっけ、の連れションですよね。以前、新聞で犬には飼い主のあくびがうつり易いという記事を読んだ覚えがあります。犬は主との共感力に優れているからだそうです。犬の連れションもこの共感力のなせる業なのでしょうか。もっとも犬の場合、大は小を兼ねるようで、トイレのドアを開けた途端にそれと遭遇しギョッとさせられることもしばしばです。
 外は一面の雪、の純白なイメージで書き始めたのですがかなり黄ばんできました。この辺で終わりにします。
実証試験場長堀田公明


朝の一駅歩き 2016.1.26 (No.69)
     
     雨の日以外は、海生研事務局の最寄り駅である地下鉄有楽町線江戸川橋駅の一つ前の飯田橋駅で降り、事務局まで歩いている。飯田橋駅から事務局まで色々なルートがあるが、良く使うのは、神楽坂方面の改札を出て、神楽坂を登り、赤城神社の境内を通って、水道町という信号機のある交差点まで下り、そこを左に曲がって地蔵通りを通り抜け、江戸川橋通りへ出るというルートで、所要時間は20分程度である。神楽坂の通りは、昼食や夜の飲み会のための飲食店が多く、朝の時間帯はほとんど営業をしていない店が多いが、看板などがカラフルで、通勤や通学の人通りも多く、朝から賑やかである。毘沙門天善国寺という日蓮宗の寺院もあり、柱などの朱色が目立っている。
 しばらく歩くと今年の夏に設置された読売新聞の4コマ漫画の主人公であるコボちゃんの銅像もあるが、こちらは郵便ポストの横にひっそりと立っている。今日(12月16日)は、毛糸の帽子と赤いマントを着せられていた。コボちゃんを過ぎて少し歩くと右側に赤城神社が見える。赤城神社では、いつも素通りは失礼と思い、時々、本殿に参拝している。赤城神社から急な坂を下る。下り終えた所から水道町の交差点までは平坦な道で、このあたり一帯は印刷や製本関係の会社が多く、トラックから印刷物を下ろしたり、乗せたりするため、フォークリフトが何台も活躍している。印刷関係の機械の音も聞こえてくる。
 水道町の交差点を左に曲がると地蔵通りになる。最近新しい店ができてきているが、和菓子屋、時計屋、飲食店、薬局、クリーニング店、果物店などが並ぶ、昔ながらの商店街である。以前、若い女性を年配の方が自転車で追い抜く際に、「○○ちゃん、昨日親知らずを抜いたそうだね。」と話しかけていた。若い女性は何か笑いながら応えていた。東京の真中にも、まだこのような近所づきあいが残っている場所があるようで、和らいだ気分になった。
 
業務執行理事・中央研究所所長藤井誠二