制御生態系(マイクロコズム) 2011.12.20 (No.21)
     
     2010年の名古屋COP10に引き続き、来年の10月にはインドで生物多様性に関するCOP11が予定されています。このところ東日本大震災への緊急対応に隠れ少々霞んでしまっているきらいがありますが、生態系保全・多様性保全が今後も重要課題であることは言うまでもありません。
 生態系を保全するには、生態系の構造と機能を理解する必要があります。そのための手法の一つに制御生態系(規模によりマイクロコズムとかメゾコズムなどと呼ばれる)を用いる実験があります。私はこの方法が気になって(好きで)、機会を作って内外の先行システムを訪問し情報収集するとともに自分で担当する機会を狙ってきました。好きになったきっかけは、東北大の栗原先生の「有限の生態学(岩波新書、1975年、名著です)」を読んだことです。簡素な実験システムで、水生生物が有限の世界で安定した系を作り環境を安定化するとともに、環境変化に対する耐性を持つようになる過程を再現できることに感激し、生物影響を扱う自分のテーマの中に是非この手法を取り入れたい、チャレンジしたいと考えるようになりました。
 ヒラメの循環ろ過養魚システムの開発を担当した時には、ろ過システムが安定するまでの間の微生物群の消長を観察し「有限の生態学」に書かれている「生物が自ら相互に結びついて安定した系を作りだす」ことを実感しました。その後、「石の上にも」と言うほどのことはありませんが、3年ほどかけてカナダの海洋研究所に働きかけ、プランクトンが海中へのCO2取り込みに果たす役割解明のためのメゾコズム共同実験を設定することができました。
 制御生態系の利用に当たっては、検討対象とする生態系の構造・機能の的確な把握・再現など課題は多々ありますが、生態系内での生物や物質の挙動解明に最も有効な手法のひとつであり、また、変化を総合的に捉え可視化できる手法であることから、活用する機会は今後ますます増えるものと期待しています。理事清野通康



葛西橋 2011.11.20 (No.20)
     
     私が育ったのは江東区「葛西橋」の近くである。昭和30年代後半に「新葛西橋」が約300m下流に架かるまでは、木製橋脚でバスがやっとすれ違いができる旧「葛西橋」があった。都電29系統の終点停留所名も「葛西橋」であり、そこから橋に向かう道の両側には釣り道具屋や船宿などが軒を連ね、何人かの小学校同級生の家もその中にはあった。川岸には遊漁船や屋形船が係留され、海苔舟も行き交っていつも焼玉エンジン独特の「ポンポンポン」という乾いた音が聞こえていた。
 当時の荒川放水路はまだ水も比較的キレイであり、海水浴もできてアサリやシジミが捕れていた。みそ汁の具とするために、母が潮干狩りによく連れて行ってくれた。
 そんな中、私に釣りを教えてくれたのは近所に住む親戚の小父であった。釣りの道具はこの小父から貰ったもので、竿先に鯨の鬚を使ったハゼ竿や、当時出始めたばかりのグラスファイバー製の投げ竿など、今でも時々使っている。干潮時にゴカイを掘り集め、小父と一緒に旧「葛西橋」の見える川岸でハゼやセイゴを良く釣ったものである。小父は時々バスで浦安まで釣りに連れて行ってくれた。波打ち際に入って釣るその足下にはハゼが群れているのが見え、釣果も荒川の比ではなかった。釣ったハゼは小父が捌き、笊に入れて軒下にぶら下げ乾燥させた。そのハゼは年末になると小母がお節料理「ハゼの昆布巻き」にしてくれたが、それは本当に美味しいものであった。
 当時、既に「夢の島」が埋め立てられていたが、まだゴミ処理が始まる前でヨシに覆われており、釣りをしながら見える水平線上に淡い緑が浮かぶ風景は幻想的であり、文字通り「夢の島」として今も心に残っている。それから数年後には「夢の島ハエ騒動」が起き、「東京ゴミ戦争」へとエスカレートしていったのだ。
 あの頃「葛西橋」の下流に橋はなく、直ぐ東京湾が広がっていたのだが、今はその下流に地下鉄東西線、都道10号清砂大橋、国道357号線、首都高速湾岸線、そしてJR京葉線が荒川放水路を横切っており、東京湾も遠くに行ってしまった。常務理事石渡隆男



我が家の庭の生物多様性事情 2011.10.20 (No.19)
     
     猫の額程とは言いながら,庭付きの一戸建てに住んでいます。やはり、田舎のせいか,また近くに公園や田んぼがあるせいか,庭を通しての自然に親しんでおります。
 庭の住人は、アマガエルやカナヘビですが、最近モグラが仲間入りしました。近くの公園で、土の入れ替え工事をしているので、追われて来たのか、先日は、落ち葉の下できょろきょろする姿を見つけました。
 アシナガバチも巣を作ろうとしていたのですが、さすがにこれは、危ないので、親蜂が、離れた時を狙って作りかけの巣を落としました。帰ってきた蜂が、幾度も元の場所を行ったり来たりして、小首を傾けているような仕草を見ると、可哀想な気がしますが、こちらも刺されたら大変なので、仕方ありません。
 先日は、セミがえらくばたばた羽音を出して、鳴いているので、見てみると、なんとカマキリにがっちり挟まれて、頭をかじられていました。カマキリは、毎年大きなやつが、我が家の庭を根城にし、見つけると、こちらを凝視して、「なんか文句があるのか。」と言いたそうな挑戦的な態度ですが、大型のセミを捕らえるとは、さすがに弱肉強食の世界を象徴する昆虫だと感心しました。
 暑いさなか、庭に打ち水をするとどこからとも無くチョウが水たまりに寄ってきます。水のにおいをどうして感じるのか不思議なものです。
 我が家の狭い小宇宙も今のところ、生物多様性に囲まれているようです。理事長弓削志郎



2011.09.20 (No.18)
     
     毎年順調にせり出してくる我がお腹を少しでも引っ込めたいと、都内の移動は通勤を含めてもっぱら自転車と決め減量に努める毎日ですが、減るのはブレーキとタイヤばかりです。どうやら場所場所で甘味所に寄るのが良くないようです。甘味所に限らずその街の生い立ちや地形などをあれこれ考えながら自転車で走るのは大きな楽しみです。
 さて、車で走っているとなかなか分かりませんが、都内を自転車で走ってみると、とても坂が多いことに気づきます。下り坂は楽ではあるものの、下った分だけまた上らねばならぬと思うと決して手放しでは喜ぶわけにはいきません。仮に往路が下り坂でも復路はその分上るという具合です。急な上りはあまり得意ではなく、多少遠回りでも緩やかな上りをできるだけ選ぶようにしていますが、そうはなかなか上手くいきません。人生においても緩やかな上りが続いて時に気づかぬうちに上っているというのは良いなと思いますが、注意したいのは気づかぬうちに下っているというパターンです。
 その昔、ある政治家が「人生には、上り坂もあれば、下り坂もある。そしてもうひとつの坂がある」間を空けて「それはまさかと言う坂」と言っているテレビで見て、椅子から落ちそうになりましたが、それが緩やかで気づきにくい変化であっても、その変化を常に観ると同時に「まさか」に備えるというのが、何事においても大事だと思います。
 蛇足ですが、河の流れは下り坂しかなく、上りは蒸発した水が雨や雪となって上流に降ることによりますが、その雨の降り方が局所的で急であることによって各所で被害をもたらしています。これもまた緩やかであれば良いなと願います。事務局局長代理山内達雄



潮干狩り 2011.08.20 (No.17)
     
     かれこれ数十年前になりますが、海のない土地で生まれ育った私にとって、海水浴付きの潮干狩りは、親戚連中をも巻き込んだ年に一度の日帰り大旅行となっていました。しかも、この旅行には大きなおまけがあって、帰り道、海の近くの遊園地では夢の国を満喫し、デパートの大食堂では当時大変珍しかったパフェを食べることもできました。今でも、春から夏にかけての季節がやって来るたびに、あの潮干狩りにまた行きたくなります。
 当時、船橋や谷津の干潟はアサリやハマグリが一杯で潮干狩りのメッカでした。貝だけでなく、ハゼなどの小魚やエビ・カニ類、イソギンチャク、ヒトデなど海の豊かさを象徴する沢山の生き物が居て、それらを自分の手で捕らえ間近で観察することができました。浜沿いにはいくつもの茶屋が並び、夢中で動き回って貝を掘っていると、広大な干潟の中で自分の居場所がどこなのか、戻るべき茶屋がどこにあるのかわからなくなり、迷子扱いとなって折角の家族旅行を台無しにしてしまったこともありました。家に持ち帰ったアサリやハマグリは、味噌汁やすまし汁にしたほか、大きなハマグリは、網の上で焼き、焦げた醤油と磯の香りを口一杯にして食べました。
 現在の谷津干潟に当時の面影は全くありませんが、それでも潮の干満によって海水が流入する潟には様々な海の生物が生活し、四季折々の野鳥も沢山飛来してきます。また、湾岸沿いには随所に海浜公園や人工干潟が造成され、時期になると沢山の潮干狩り客で賑わいます。子供たちにとって干潟は、あの独特の潮の香りの中で、様々な生き物が自然の中で生きている様を直に観察できる「環境学習」の場としてだけでなく、自分自身で汗を流して採った生き物を水産物として美味しく食べる、という「食育」の点でも実に優れた教材を提供してくれます。来年こそはぜひ潮干狩りに行ってみようと思っています。実証試験場長中村幸雄



小学5年生 -侮るべからず、畏れるべからず- 2011.07.20 (No.16)
     
     3月11日の東日本大震災の後、「原子力安全保安院は独立させるべきである」などの議論があるが、フランスでは、「原子力安全・情報開示法」に基づきASN(原子力安全機関)がその年の11月に完全独立し、ライセンス制を背景とした査察、改善命令の実施や、地方委員会による監視をする他、国民への説明、理解増進を一手に引き受け実施している。特に子供への原子力教育については、このASNの独立以前から徹底していた。
 我が中央研でも地元の小中学生に対する「海の知識」の普及を心がけ、職場体験、社会科見学、町内あげての「丸ごとミュージアム」行事などへの協力を行ってきた。大震災の後、放射能の話をする機会が増えた。が、さて、困ったことになった。大人向けの放射能影響の資料はあるが、小学生向けの教材がないのである。あちこちのホームページを探したら、どちらかといえば原子力に否定的なサイトにはいろいろ載っていた。
 何とか材料をかき集めて、「宇宙の万物は、原子で作られている。原子の仲には核分裂するものがある。エネルギーと放射線を出す。放射線が体を突き抜ける性質は医療に使われた。エネルギーも原爆や発電に使われた。これまでは上手にコントロールして人類の役に立ててきた。ところが、怖い側面もある。なぜ怖いか・・・。」と、ここまで進めてきて、次にDNAの話をするのであるが、大丈夫かなあ。子供にわかるかなあ・・・と悩んだ。
 小学5年生相手に思い切って話してみた。すると「遺伝子」、「螺旋」、「確率」、「修復」、「分裂」などの言葉を理解するのである。最後は、「安全なものを一生懸命食べて、元気で丈夫な大人になって下さい」とお願いしてしめた。その後、「磯遊び」のときにも研究員から放射能の話をした。さすがに小学低学年は、「難しかった」とのアンケートの結果であったが、高学年は「良く分かった」の回答が多かった。小学生を畏れないでも良いのだ。中央研究所所長原猛也



魚の化学感覚 2011.06.20 (No.15)
     
     魚は水の中でどのように危険を察知したり、お互いにコミュニケーションしているのでしょうか? それには、視覚や聴覚とともに、嗅覚や味覚、また鰓や体表(測線)における感覚などの化学感覚が重要な役割を果たしています。
 昔、水質変化に対する魚の反応について検討したことがあります。最近は大気中CO2濃度の増加に伴う海水の酸性化が話題となっていますが、一昔前は酸性雨による河川湖沼水の酸性化が懸念されていました。わが国では土壌層が厚いことなどから北欧でみられたような酸性化は発生しないと考えられますが、降雨にともなう一時的な酸性水の流入に対し魚がどんな行動をとるのか検討してみました。実験にはY字型の水路を使いました。これは魚の感知能や嗜好を知るため、Y字の一方の水路側から例えば酸性水を、一方からは清水を流し魚がどちらを選ぶかを検討する実験装置です。実験の結果、アユは酸性水から速やかに逃げましたが、イワナはいったん隠れ場所を探すような行動を示した後に逃げるなど魚種の生態を反映した反応が確認できました。
 Y字型水路は単純な構造の実験装置ですが、海生研は、これを一層発展させたより有効な多種多様の実験装置を開発し、水温や水質変化に対する海産魚の反応行動の解明を行ってきています。これらの成果は当所のホームページでも紹介していますので是非ご覧ください。
 さて、話は変わりますが、釣人はそれぞれ自分の釣場(穴場)と自信のある餌(道具)を持ちたがります。私も学生時代、友人と競争で餌にする昆虫を探したり、大漁を妄想しワクワクしながらサツマイモと小麦粉と卵とサナギ粉---と、魚の嗅覚と味覚を刺激するための餌を調合したことがありました。上記の海生研が開発した魚の行動解析のための実験装置は、試作した餌が魚の好み(味やにおい)にマッチするかどうかを判定するのにも間違いなく有効と思われますので、密かに実験の機会を狙っています。こちらについてもご興味のある方は是非ご連絡ください。理事清野通康



鉱石ラジオ 2011.05.20 (No.14)
     
     もともと工作が好きであったが、ラジオを作り始めたのは小学校の教師がラジオマニアで、秋葉原のラジオストアなどに連れて行ってもらい、部品を買ってきたのが最初であった。当時(1960年頃)既に初期のトランジスターやダイオードが売られており、作った鉱石ラジオも実際はダイオードを使ったものであった。その昔は本当の方鉛鉱や黄銅鉱などの整流作用を金属の針で突いて捜すことをしていたようで、当時読んだラジオの制作本に書かれていたこと覚えている。買ってきた部品は、バリコン、コイル、ダイオード、イヤホンと少々の配線材料とであった。父も応援してくれて、ハンダごてのついた工具セットを買ってくれた。部品はカマボコの板に木ねじで止め、バリコンにはツマミを取り付け、簡単な配線をして完成した。長いビニール線を鴨居に這わせたアンテナと、縁側の下に缶詰の缶を埋めたアースとを接続して、結構良く聞こえたものである。それからは真空管を使ったラジオ制作に夢中になり、ラジオからオーディオへと、真空管時代の終焉までハンダごてを持って遊ぶことになるのである。
 このラジオで聞いた音楽で思い出すのは、何故か「遙かなるアラモ」という映画(ジョンウェイン主演)の主題歌で、ブラザース・フォーが歌ってヒットした曲である。今でもこの曲を聴くと、この鉱石ラジオのこと、当時住んでいた家や周囲の様子、他界した両親の顔、飼っていた猫の臭い、友達の顔、などなど当時の雰囲気がハッキリと想い出されるのである。今から50年以上も前のことなのに、である。このような懐かしい記憶を呼び戻す「物」や「音楽」は、誰にでもあるのではないだろうか。常務理事石渡隆男



数値データをどう見るか 2011.04.20 (No.13)
     
     もう春ですが、少し季節外れの話題です。毎年初詣に近所の神社に行きますが、この神社がアニメオタクの聖地として有名な神社で、ここ数年毎年のように初詣客が増加しており、今年も3が日で47万人と言う発表があった。地元商店街の活性化に貢献しており、喜ばしいことだが、はて、47万人は、どうやって確認したのかなと研究機関の理事長としては、考えたくなります。
 小さな神社なので、賽銭箱の前で一度にお参りできる人は、最大6人、さい銭を投げて、祈るのに平均5秒かかるとして、1分間でさばける人数は、72名、1時間で、4,320名、24時間ひっきりなしに人が来るとして、3が日の最大参拝客は、311,040名となり、31万人が限界なのだが、15万人以上差が出るのは、どうゆう数え方なのだろうか。大晦日の人も入っているとか、来てもまわりをうろついているだけで、参拝しない人がたくさんいるとか、それにしても計算上と差が多すぎるので、こういった人出の数は、話半分に聞いていた方がいいのかな。
 数値データというのは、客観性があると言われるのが一般的ですが、福島原発事故以降ベクレルやミリシーベルトと言った単位の数値が毎日のように出てきます。しかしながら、数値だけを見るのではなく、データの取り方と単位については、気をつける必要があります。
 ところで、神社の参拝客数に文句を付けると罰が当たりそうなので、これ以上初詣客数については究明しないこととします。理事長弓削志郎


共生 2011.03.20 (No.12)
     
     相当前の話で恐縮であるが、ある全国紙朝刊に著名な仏教家の講演の要旨の一部としてさらに要約するならばこんな話が書いてあった。
 「ウナギの稚魚であるシラスを外国から空輸するのに10時間ほどかかるが、この間シラスはほとんど死んでしまい生残率は1割~2割である。同じ容器にシラスを餌とするナマズを入れて空輸すると、2割程度はナマズに食べられてしまうが、生残率は8割~9割になる。このシラスとナマズの出会いが仏教で言う「縁」である。」
 江戸っ子風に言えば、「おいおい、おめーさんなんぞ、毎日のんきな長屋暮らしだけど、何か一つくらい苦労はねーのかい。人間何か一つくらい苦労があるほうが、背筋がぴーんとのびるってもんよ。」ってとこだろうか。実際の講演では、人生は無意味、諸行無常という文脈の中でとりあげられているもので、日々のうのうと暮らす私には難しい内容だが、一時、周囲で話題となり、幾度となくこれをネタとして話が盛り上った。
 ある人は無病息災ならぬ「一病息災」的にとらえ、また「シラスはナマズによって生きる目的を与えられ生き延びた。」と言う人など様々で、宗教というものは「自我にとらわれず、欲望を抑えなさい」と説いているという私の印象に対し、シラスが喰われまいと必死に逃げている姿がミスマッチだなと感じました。ナマズはシラスに生かされ、シラスはナマズに生かされ、生き物は生きているのではなく生かされているという人もいますが、この「生きている」「生かされている」のバランスが大事な気がします。皆さんはこの話になにを思われますか。事務局局長代理山内達雄


スポーツ観戦 2011.02.20 (No.11)
     
     先日のAFCアジアカップにおけるサッカー日本代表の活躍には、多くの人達が大きな感動と興奮を覚えたのではないかと思います。あっという間の3週間、日本代表の試合は計6試合、中には深夜零時を回ってからのテレビ放送もありましたが、多くが午後10時過ぎからの放映で、テレビ観戦には格好の時間帯でした。大会期間中、ここ新潟で雪が深々と降る深夜、年甲斐もなくアパートの一室で興奮のあまり大声を出し、テーブルをもたたいていたような気がします。隣家の方にはご大変ご迷惑をおかけしました。
 テレビでのスポーツ観戦には、選手たちの表情や個人技などをアップで観ることができ、華麗なプレーを再生してくれるなど、競技場での観戦にはない楽しみ方があります。今では伝送方式の多様化と受信機器の発達によりサッカーにとどまらず野球やテニス、卓球、陸上競技など、あらゆる国内外のスポーツのライブ放送を、色彩豊かな鮮明な画像で観ることができます。その中でアマチュアスポーツの代表格である高校野球や高校サッカーなどの全国大会の放送も、私をテレビの前に釘づけにするスポーツ番組の一つです。普段は郷土愛などあまり持ち合わせていない不遜の私も、この時ばかりは自分とゆかりのある土地の代表校を応援するために、テレビで観戦するか、競技場が近ければ実際に足を運んでいます。一つのボールを追い戦う選手にいつも魅了され、時には嫉妬さえ感じながら・・・・。 
 新潟県の今冬の大雪は交通・通信網や施設への影響だけでなく、人的にも大きな被害をもたらしています。そのような中で、新潟県佐渡島にある佐渡高校が今春の選抜高校野球大会において春夏通じ初の甲子園出場を決めました。平年、雪の少ない佐渡ですが、今年ばかりは雪が積もったグランドで練習もままならなかったでしょう。春、初めての甲子園の土の上でプレッシャーに負けずのびのびと、思い切りのプレーをテレビで拝見したいと今から楽しみにしています。実証試験場長中村幸雄


フランス出張の成果、かの国の食事情 2011.01.20 (No.10)
     
     先だってフランスに調査に行ってきました。パリのレストランは、夜7時にならないと開きません。おなかが空きます。初日は軽く、生牡蠣とニシン、山盛りのソーセージ、タマネギのスープ、キャベツの酢漬け、ポテト、フランスパンを食べ、地ビールとボルドーの赤を満足するまで飲みました。締めはお砂糖をたっぷり入れたエスプレッソコーヒーとアップルパイです。この店はとても気に入ったので、帰国前にも裏を返してモツ煮やエスカルゴを試しておきました。 牡蠣はスペインの丸いヤツではなくて、細長いものでした。日本では、肝臓の部分がプクンと丸く太っていますが、ぺったんこです。エシャロットを刻んだものとバルサミコ酢をかけて食べました。都合2軒食べてどちらも実に美味しかった。この牡蠣は、多分日本の青森から持って行ったものです。15年前、ナント地方の牡蠣養殖の見学に行った際、スペイン牡蠣はウイルスにやられて陸奥から種牡蠣を輸入したと言ってましたから。
 ホタテは、パイ包みで蒸したもの、そば粉のクレープに包んだものを食べました。セボンです。ムール貝をセロリとクリームで蒸したものはトレビアンです。茹でたツブは、腐っていました。突き返しました。リベンジしました。ジャリジャリしました。茹でたシュリンプは最高でした。お代わりしました。ニシンのオイル漬けは、何匹でもいけます。鱈のクリームソース煮は、絶妙の塩梅です。ポテトやフランスパンと赤ワインに合います。他には、カツカレー、すき焼き、パリ巻き、揚げ出し、ネギぬた、お新香盛り合わせ、チンジャオロースー、サムゲタンなどを食しましたが、これらはどれもイマイチです。
 これらは周辺調査の成果です。これから本調査の成果を・・・皆さんに・・・。悔しいかな字数がない。では、またの機会に。中央研究所所長原猛也