魚の視覚 2010.12.20 (No.09)
     
     前回は魚の食欲の話をしましたが、今回は食欲と関係の深い魚の視覚についてお話しします。
 魚の眼はいわゆる魚眼、人間よりかなり広い範囲を見ることができます。釣り場でちょっとした不自然な動きをすると魚が岩陰に隠れてしまうことなど皆さんご経験あるかと思います。
 魚は人間と同様、網膜にある桿体で明暗を感じ、錐体で色彩を感じますが、桿体の方がものの動きなどを鋭敏に感知するようです。また、多くの魚類は青~緑の光に最も反応します。昔から、経験的に飼育水槽の色は緑がよいとか、青がよいなど言われてきましたが、近年、魚の飼育環境のカラーコーディネイトについて興味深い実用的な成果が報告されています。例えば、カレイの仲間のマツカワでは緑色光下で飼育する方が赤色光下よりも早く大きくなる、一方、赤色光下で飼育すると雌の割合が増えるとのことです。いずれの場合も哺乳類では食欲増進に係わるメラニン凝集ホルモンが視覚を通じ関与していると推定されています。仔魚も緑~青色光をよく感じるようです。ただ、仔魚の眼に色彩を区別する錐体が発達するのは少し大きくなってからで、孵化後しばらくの間は桿体しかないため明暗のみを感じると考えられています。
 さて、孵化して間もない仔魚は、生まれて初めて食べる餌を明暗しか感じない発達途上の眼で見て捕食しているのか、それともたまたま口に入ったものを摂取しているのか? 大昔の私のテーマのひとつでした。マダイやクロダイなどの仔魚については、光のない暗室内では餌(動物プランクトン)があっても捕食できず数日~一週間程度で死んでしまうので、眼で餌を見て捕食していると考えるのが妥当だと判断しました。が、数年間の学生生活の間に、真っ暗闇の飼育実験条件下で動物プランクトンを飽食している仔魚を見つけたことが数回あります。このスーパー仔魚の感覚と食生活はまだ謎のままです。理事清野通康



鯖大師 2010.11.20 (No.08)
     
     四国霊場第二十三番札所「薬王寺」は徳島県最後の札所であり、そこから高知県最初の札所となる室戸岬の第二十四番札所「最御崎寺」への約80kmの道のりは、四国遍路道中最長の区間となっている。この遍路道の途中、徳島県内の小峠に鯖大師と呼ばれる寺があり、弘法大師空海に纏わる説話が伝えられている。この寺は「八坂山八坂寺鯖大師本坊」と称し、四国八十八ヶ所霊場とは異なる四国別格二十霊場の第四番札所となっている。お遍路の宿坊も備わっており、小職も車遍路の道すがら参拝したことのある寺である。そしてその説話とは、その昔空海が行脚中、出会った馬の積み荷の塩鯖を所望したが、馬子がそれを断ったところ馬が急に苦しみ始めた。驚いた馬子が非礼を詫びて塩鯖を手渡すと、空海は馬に水を与えて回復させ、さらに塩鯖を海に放つと蘇生して元気に泳ぎ去った。これ以後、馬子は空海の弟子となり、やがてこの地に庵を結んだのがこの鯖大師本坊である、という。この説話は、もともとは空海より約100年前の僧、行基の所行であったとする話もあるが、いずれにしろこうした旅僧への食べ物の献貢、拒否が幸不幸をもたらすという説話は、他の四国遍路道はもとより九州から東北まで広く残されている。このような伝説は、古代の日本人が巡行する貴い神に対して供物を供えるという神饌献納の話が仏教化されたものと考えられており、柳田国男は、漁民が鯖を内陸に運ぶ際、峠など境の神にこれを供えた習俗に関係があるのではないか、としている。それにしても、こういう説話に出てくる魚は何故か「鯖」なのであって、もっと身近だと思われるイワシやカツオなどは出てこない。また、「鯖街道」はあっても「イワシ街道」はあまり聞いたことがない。この「鯖」と日本人の関係は文化史の面から見ても興味深いものがある。常務理事石渡隆男



あごの話 2010.10.20 (No.07)
     
     NHKの朝のテレビドラマで、山陰の境港が有名になったが、山陰地方の名物の一つとして、「あごの野焼き」なる物があるのをご存知だろうか。ちくわの親分のような太巻きの形をした魚介類の練り製品だが、原料にトビウオを使用しており、なかなの美味である。
 「あご」とは、トビウオの地方名称で、山陰ばかりでなく、長崎から、能登半島まで、日本海では、トビウオのことを「あご」と言う地域が多い。島根県に赴任していた時から、なぜ、トビウオを「あご」と言うのか気になっていたが、実は、未だに不明である。
 「あごが落ちるほどおいしいからだ。」というのが、一番の説だが、確かにトビウオは、美味で、「あごだし」と称するだし汁を作ったりする。しかしながら、日本海には、夏の脂ののったアジを始め、アマダイ、ノドグロ、干しカレイ、ヤリイカ等いくらでも美味な物があり、なぜトビウオだけがあごが落ちるほどおいしいと言われるか説得力に欠ける気がする。
 インターネットで検索するとそれ以外にトビウオの学名Cypselurus agoo agooから来ていると説明しているものもあるが、これは、順序が逆で、かのシーボルトが長崎の方言として紹介した「あご」が学名になったのが本当のところらしい。トビウオ科に属する種類の多くが、幼魚時代にあごにひげのような突起やヒモ状の持っており、これとの関係を記述しているものもあるが、成魚では、まったくみられないものをわざわざ呼び名にするとも考えられない。
 私が、一番有力だと思うのは、夏に大挙して沿岸にやってくるので、刺し網や定置網にトビウオが多数刺さった状態で網上げされることが多いので、これを「網の子」、「網子」、「あご」になったと言う説である。
 昔の文献を読んだ訳ではないので、いつ頃からこう呼ばれているのか、沖縄地域の方言との関係はあるのか等興味は、尽きないが、誰か真実のところを知っていれば、教えていただきたいものだ。
 追記:最近考えた珍説は、アジ(ア+4)の次にうまいから「あご」(あ+5)だというのだが、どうだろうか。理事長弓削志郎



昔と変わらないもの 2010.09.20 (No.06)
     
     江戸川橋に事務所を移転して早一年が過ぎました。
 映画「ALWAYS三丁目の夕日」「ALWAYS続・三丁目の夕日」を懐かしく見ましたが、江戸川橋には「地蔵通り商店街」という昭和の頃の雰囲気を残す商店街があり歩いているとなぜか落ち着きます。
 大型店舗に駆逐されていく商店街が多いなか、貴重な存在だと思います。
 私は、最近テレビドラマの龍馬伝にハマっており、先日、愛聴しているFM局で武市半平太の妻の役で出演なさっていた女優さんが「龍馬の時代は大変な時代だったと思いますが、たかだか150年前の話なんですよね。」と話されていたのを聞いた時、ガーンとなにかで頭を打たれたような感覚に襲われました。龍馬伝を純粋なエンターテイメントとして楽しんでいる歴史に疎い私としては、「たかだか150年前」の話だというのがその時なかなかのみ込めなかったのです。ドッグイヤーとかマウスイヤーとかが言われ、時間の流れが加速度的に速くなっている今、「地蔵通り商店街」を歩いていると、何か「昔から変わらないもの」を感じる事が出来る気がします。そして「昔から変わらないもの」を考える事が将来を考える上でも大事な事だと最近とみに思うのです。事務局局長代理山内達雄



「魚の鰓(えら)」のお話 2010.08.20 (No.05)
     
     丸ごとの新鮮な魚を目の前にすると、私は必ずと言って良いほど鰓蓋を開き、鰓の状態を観察します。時には、生きたままの魚を調理する時や魚を釣り上げた時でさえ、無意識にこの作業をしていることがあります。
 これは、私が魚を実験材料として扱う際、鰓の血色の濃淡や表面観などによって魚の健康状態や栄養状態を確認することが半ば習慣化してしまったためと思われます。勿論、生きたままの魚を相手にする場合だけです。
 魚の鰓は、呼吸・循環系において心臓と並ぶ重要な器官です。心臓から押し出された静脈血は腹大動脈、入鰓動脈を経て鰓弁の毛細血管に入り、環境水との間で二酸化炭素の排出と酸素の摂取が行われた後、動脈血となって出鰓動脈、背大動脈などを経由し全身に送られます。つまり、鰓はヒトの肺と同様に呼吸器の役目を果たしています。鰓を低酸素・高酸素濃度の水に接触させると、心拍数がそれぞれ反射的に減少・増加することから、鰓には環境水中の酸素を感知する受容器があるのではないか、という説もあります。
 魚への長時間の手術では、低濃度の麻酔薬を含み、酸素が豊富な水を鰓に流しながら手術を行います。こうすると、長い手術中でも、血液中の酸素濃度が一定に保たれ、しかも手術中の代謝物を鰓から排出することができるので、術後の経過が良くなります。また、呼吸停止からの蘇生や術後の早期回復には、酸素を豊富に含む水を人工的に鰓蓋に流し込んでやる、いわゆる人工呼吸が効果的です。
 この他にも、魚の鰓には水生生物の宿命である浸透圧の脅威から身を守ってくれる塩類細胞が発達しています。鰓にある鰓耙(さいは)という器官は、イワシ類などのプランクトン類を主に餌とする魚の摂餌器官として働いています。
 このように、魚の鰓は、水中という過酷な環境を生き抜くために多様な機能をもっています。もし、皆さんが生きたままの魚を目の前にした時には、こんな「魚の鰓」のお話を思い出していただければ幸いです。実証試験場長中村幸雄



水に流す 2010.07.20 (No04)
     
     梅雨といえば、かつてはしとしと降る雨の中で紫陽花を楽しむという風情がありましたが、最近は降れば土砂降り、これも地球環境の変化の兆しなのでしょうか。
 ところで、「水に流す」という表現は、水が豊富な日本独特の表現のようです。身近な川の水を生活の中でふんだんに利用していた日本では、過去のいざこざなどをきれいさっぱり忘れ去ることを「水に流す」と表現したのもよく理解できます。しかし、実際にものを水に流すと、その行き先は、すべて海。現代の機能的で便利な生活を支えている様々な化学物質も、不用となり水に溶け出たものは川を経てやがては海へと流れ着きます。海岸近くの浅場には藻場や干潟などもあり多様な生物の生息場となっています。陸上から流れ込んだ栄養物質は生き物を育む一方、化学物質はこれらの海の生物に影響を与えないのでしょうか。
 最近、水産庁から「海産生物毒性試験指針」という報告書が出ました。化学物質が海産生物へ及ぼす影響を調べるうえで参考になるものです。海に生息している多様な生物の中から植物プランクトン、動物プランクトン、エビ類、魚類を用いた毒性試験法をとりまとめたものです。急性毒性試験法と慢性毒性試験法、さらにそれぞれの生物の飼育繁殖法について記載されています。海生研で調査研究した結果も含まれています。
 化学物質には簡単に分解するものもありますが、環境中に蓄積して悪影響を及ぼすものもあります。有害な化学物質はわずかでも水に流さないようにしたいものです。
 報告書を直接ご覧になりたい方は海生研にも多少余分がありますのでお問い合わせください。中央研究所所長木下秀明



魚の食欲 2010.06.20 (No.03)
     
     魚釣と魚の飼育が趣味で、長年、魚に餌を食べさせるための工夫をしてきました。大学での研究テーマも自然に魚の食生活に関するもの、「魚の食欲、特に、卵から孵化したばかりの魚の子供(仔魚)の食生活(食欲)の解明」となりました。このテーマには今でも大変関心を持っており、先日、小学校の同窓会でそのことを話したら「そんなモンで給料がもらえるのか、大丈夫か」といわれて返答に窮しましたが、以下、「大丈夫か」といわれた内容を紹介します。
 哺乳類は食欲増進ホルモンと抑制ホルモンの双方を分泌しますが、魚類では食欲抑制ホルモンの存在は示唆されているものの、まだ確認されてはいません。胃がある魚は胃が満杯になると食事をストップしますが、コイの仲間など胃のない魚は餌があれば概ね食べ続けますので、飼われている金魚は大体メタボになっています。
 孵化したばかりでまだ胃のない(分化していない)マダイやクロダイなどの仔魚も日中はほぼ連続して動物プランクトンを捕食しますが、これらの仔魚は餌を眼で見て捕食しているため、夜になると摂餌活動を停止します。そこで、夜間に照明を行えば摂餌量が増え成長速度も増大するのではと考え、外光の入らない恒温室内で継続照明を行いクロダイ仔魚とマダイ仔魚を飼育したところ、両者で異なった反応が見られました。
 クロダイ仔魚は、継続照明下で概日的な摂餌リズムはありますが昼も夜も摂餌活動を行い、自然の日長条件より多くの餌を食べました。一方、マダイ仔魚は、同じ条件でも日没後ほぼ一斉に摂餌活動を停止し、翌朝、日の出頃となるとまた一斉に摂餌を開始するという明確な日周リズムを示しました。遊泳行動にも両種で同様な差が認められました。
 これらから、クロダイ仔魚の方が夜更かしで食い意地が張っていて、マダイ仔魚は規則正しく食事に淡泊なように見えます。成魚となってもマダイよりクロダイの食生活の方がバラエティに富んでいます。餌を食べられる条件が整っているのに、マダイ仔魚は何故夕刻以降摂餌を止めるのか、クロダイ仔魚は何故夜食を食べるのか、夜食を食べてメタボになっていないかなど、この食生活の差の解明は養殖や放流用の種苗生産の効率化のためにも非常に興味があるところです。理事清野通康



「うなぎ」の話 2010.05.20 (No.02)
     
     近頃、シラスウナギが不漁であるとか、水産総合研究センターが「ウナギの完全養殖」に成功したとの発表もあるなど、ウナギを巡る話題が目につくが、そのウナギの話をひとつ。
 私は「ウナギ」が大好物である。母が川魚嫌いであったので、「鰻重」を食べたのは成人してからではないかと思う。そのときは、世の中にこんな美味しいモノがあったのかと感動したことを覚えている。これまで、いろいろな店で「鰻重」を食べてみたが、本当に美味しいと思ったことは実はあまり多くはないが、そのひとつは家内の実家近くにある店のものであった。あっさりとして甘みの少ないタレのおかげで、ウナギの風味がハッキリと感じられるものであった。
 もとより、それほど味覚が敏感ではないので、天然ものと養殖ものの違いなど判る訳もなく、要は自分の好みの問題なのだけれども。
 その家内の実家近くの店は代替わりしてから味が変わったとのことで行ってみたが、甘みの強いタレの味が勝っている「鰻重」になっていた。西日本ではこうした甘みの強い味付けが好まれるようで、「鰻重」も例外ではないようであるが、最近の「鰻重」は何処に行ってもこの手の味付けが多く、好物を食べているのに、何か満たされないものを感じてしまうのである。
 「ウナギ」の本当の美味しい食べ方は、「白焼き」を山葵醤油で食べることだとは判っているけれども、あのタレの絡まったご飯と一緒に食べるのが、やっぱり大好きなのである。常務理事石渡隆男



アラビア数字と算用数字は違う?! 2010.04.20 (No.01)
     
     最近中東へ出張の機会があり、いろいろ目新しい経験をさせていただきました。その中の一つにアラビア語があります。アラビア語は、ご承知のように右から左に読むということなので、テレビのテロップ等も日本とは逆に左から右に流れます。最初は、気づかなかったのですが、言われてみると当然です。しかし、その中に数字が入るとこれは、世界共通の左から右に読みます。ですから一つの文章に右から読む部分と左から読む部分が混在するということで、何となくこんがらがりそうですが、慣れれば縦書きと横書きが併存する日本語と同様異和感は無いのでしょう。
 その数字も日本では、算用数字のことをよくアラビア数字と言いますが、実際のアラビア数字は、普段我々が使っている数字とは、かなり異なっています。似ているのは、「1」と「9」ぐらいで、後は、匹敵する数字が想像できません。「0」に似た数字は「5」を表しますし、「V」は、「7」だそうで、「3」を裏表逆にして書いたような「E」の筆記体のような字が、「4」を表します。ですからアラビア数のの書かれたナンバープレートには、我々の知っている算用数字が併記されているものも見かけます。こうした経験をすると、生物多様性ならずともこの世界の文化の多様性についても我々は常に意識し、寛容であるべきだと感じます。
 ところで、中東についての紀行文は、最新の海生研ニュースに掲載しますので、ご興味がありましたらお読みいただければ幸いです。理事長弓削志郎